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教科書のない時代から始まった、ハーネスケアの20年|鹿児島の民間救急・医療搬送物語

旧福岡こども病院から鹿児島へ=福岡県警の先導
旧福岡こども病院から鹿児島へ=福岡県警の先導

はじまりは「教科書のない時代」から



今でこそ「民間救急」「医療搬送」「介護タクシー」という言葉は

少しずつ知られるようになってきましたが、

20年前の鹿児島には、そんな言葉すら、ほとんどありませんでした。


患者搬送といえば、

タクシーの運転手さんが社会貢献の一環として

寝台車を兼務していたような時代。


車いすの方は、車いすを折りたたんでタクシーのトランクへ。

「運ぶ」というより、「なんとか移動する」イメージに近かったと思います。


そんな 教科書もお手本もない時代 に、

ハーネスケアの原点はスタートしました。



整備士だった私が「命を運ぶ仕事」に入ったきっかけ



もともと私は、自動車整備士でした。

車を触ること、機械をいじることが好きで、

整備管理や車両の状態を見極めることには自信がありました。


きっかけは、親族が立ち上げた訪問介護事業所。

そこに 「患者等搬送事業」を立ち上げたい という話が出て、

「車両の整備管理者が必要だから、お前しかいないだろう」と声をかけられたのが始まりです。


そこから、


  • 車両の選定

  • ステッカー貼り

  • 装備の取り付け

  • 消防や役所との登録関係のやり取り



すべてが手探りでした。


インターネットで簡単に調べられる時代でもなく、

今のように他社のホームページを見て真似ることもできない。


「どうやったら安全に運べるのか」

「そもそも、これで合っているのか」


模索に模索を重ね、

スタートするまでに 3年 かかりました。



ICUに飛び込んだ、あの時の緊張感


ICUからの呼吸器搬送
ICUからの呼吸器搬送

今でも忘れられないのが、初期の頃に経験した ICUからの搬送 です。


点滴ラインが何本もつながっていて、

モニターやシリンジポンプ、輸液ポンプ、人工呼吸器……。


患者さんの身体から伸びる管は、

まるで ロープが何重にも絡まっているような状態 でした。


「この方を、どうやってストレッチャーに移す?」

「どこを持てばラインを抜かずに済む?」


一つ間違えば命に関わる。

本当に、緊張の連続・試行錯誤の連続 でした。


そこから私たちは学びました。


  • いきなり当日だけで対応しない

  • 事前に病棟へ行き、患者さんの状態やラインの本数、機器の配置を確認する

  • 看護師さんや病院スタッフと、事前にイメージを合わせておく



この 「事前に見に行く」「準備してから迎えに行く」 という姿勢は、

今もハーネスケアが大事にしていることです。



ライトエース1台から、200系ハイエースへ



最初に使っていた車両は ライトエース。

そこからキャラバン、古い型のハイエースと続き、

狭い車内で、なんとか工夫しながら搬送していました。


何年も現場で積み重ね、

ようやく念願の 200系ハイエース(現行型)を新車で導入。


これは、ハーネスケアにとって大きな転機でした。


  • 天井が高くなり、点滴を余裕をもって落とせる

  • 車内が広く、人工呼吸器や電源機器も安定して積載できる

  • 医師も看護師も、ご家族も一緒に乗れるスペースがある



車内の広さだけでいえば、

一般的な救急車よりも広い ほどです。


「命を運ぶ」ために、

ようやく 自信を持って使える“夢の車” を手に入れた瞬間でした。


その後、2台目の200系ハイエースも導入。

車両の進化とともに、医療搬送の質と幅も広がっていきました。


新しい車両で搬送の幅が広がる
新しい車両で搬送の幅が広がる



介護から、医療へ。ニーズは年々高まっていった



最初は、介護系の移動が中心でした。

通院や施設への送迎、車いすでの移動などがメインでした。


しかし、年々ニーズは変わっていきます。


  • 酸素投与が必要な方

  • 点滴をつないだままの方

  • 人工呼吸器を使用している方

  • 輸液ポンプ、シリンジポンプ、麻薬管理が必要な方



「医療的な管理が必要な搬送」 が、どんどん増えていったのです。


民間救急という制度ができる前から、

私たちは看護師さんに乗ってもらい、

酸素管理や点滴管理などを行いながら搬送していました。


つまり、

制度ができるより前から、実質的には“医療搬送”をやっていた ということになります。



鹿児島市消防局からの「民間救急」認定



その後、「民間救急」という制度が正式に立ち上がり、

鹿児島市消防局による民間救急認定が始まりました。


ハーネスケアは、

鹿児島市消防局の民間救急認定事業所として登録 されます。

(当時、登録事業者としては3番目でした)


番号の順番よりも、

私たちが大切にしてきたのは 中身 です。


  • 看護師が同乗すること

  • 事前の打ち合わせ・状態確認を徹底すること

  • 「移動」ではなく「医療を伴う移動」として責任を持つこと



これらは、制度ができる前からずっと続けてきた姿勢です。





離島からの骨折搬送、飛行機・フェリーでの長距離搬送


屋久島からの搬送
屋久島からの搬送

鹿児島という土地柄、

離島からの搬送 は切り離せません。


とくに多かったのは、

離島で骨折された高齢の方の搬送です。


  • 高速船で鹿児島本土に到着

  • そこから救急病院まで、ストレッチャーで搬送

  • 多いときは、月に3件以上 こうした搬送が続いた時期もありました。



そこからさらに、


  • 飛行機での県外搬送

  • フェリーで奄美大島へ

  • 沖縄の病院への搬送

  • 本州の病院への長距離搬送



私たちの搬送は、

鹿児島の中だけにとどまらず、

「鹿児島発・全国への医療搬送」 へと広がっていきました。



「お値段以上」なんて軽く言えない世界で



よく「お値段以上」という言葉がありますが、

この仕事は、

その一言では片付けられない世界です。


私たちも命がけ。

患者さんも命がけ。


一つ手を滑らせれば、

一つぶつけてしまえば、

その方の骨は折れ、皮膚は破れ、

取り返しのつかないことになります。


だからこそ、


  • ベッドからストレッチャーへの移乗

  • ストレッチャーから病院ベッドへの移乗

  • 段差や坂道、玄関、エレベーターの隙間



すべての場面で、

「どうしたら一番ダメージが少なく、安全に移動できるか」 を考え続けてきました。


それが、ハーネスケアの20年です。




これからも「教科書のない部分」を追い続ける



今は、インターネットもあり、

民間救急や介護タクシー事業の情報も、少しずつ増えてきました。


でも、現場で目の前の患者さんを前にしたとき、

完璧な教科書なんて、やっぱり存在しません。


だからこそ私たちは、

これからも一件一件の搬送を大切にしながら、

「どうすればもっと安全か」

「どうすればご家族がもっと安心できるか」

を考え続けていきます。


20年前、ライトエース1台から始まったこの仕事が、

今こうして多くの方の移動と人生に関わらせていただいていること。


それが、ハーネスケアの一番の誇りです。



 
 
 

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